## 医療訴訟 ~その流れと裁判所の考え方~ ###  (1)医療訴訟とは何か ── その現状と全体像 医療訴訟という言葉を聞いたことはあっても、具体的にどのようなものか、実感を持っている先生方はあまり多くないのではないかと思います。今回は、まず医療訴訟とはどういうものなのか、件数や審理期間、認容率といった基本的なデータをご紹介しながら、全体像を掴んでいただきたいと思います。 ###  医療訴訟の件数 ── 多いのか、少ないのか ここでは、医療行為をめぐる損害賠償請求の民事訴訟を取り上げます。[最高裁判所の統計](https://www.courts.go.jp/saikosai/vc-files/saikosai/260527-iji-toukei.pdf)では、医事関係訴訟の新受件数は2004年(平成16年)の1,110件をピークに減少しました。ただし、一貫して減り続けているわけではありません。2023年は611件、2024年は664件、2025年は676件です。2025年の数値は速報値で、地方裁判所・簡易裁判所の事件を含み、保全事件を除きます。 事件数は、訴えられた医師の人数ではありません。医療法人などが被告となる場合や、一つの事件に複数の被告がいる場合もあります。全国の医師数との単純な比較から、個々の医師が訴えられる確率を判断することはできません。また、訴訟に至らず交渉などで解決した紛争も、この数字には表れません。 ###  通常の訴訟と何が違うのか 医療訴訟は、民事訴訟のひとつです。交通事故や不動産トラブルと同じ「民事訴訟」の枠組みの中で審理されます。しかし、いくつかの点で通常の民事訴訟とは大きく異なります。 まず、審理期間の違いです。前掲統計の2025年速報値では、医事関係訴訟の平均審理期間は24.1か月でした。比較対象の地裁民事第一審通常訴訟事件は8.9か月で、この集計には医事関係訴訟も含まれます。医学的な争点や診療経過の整理に時間を要することがありますが、個々の事件の期間は大きく異なります。 次に、専門性が高いことです。裁判官は法律の専門家ですが、医学の専門家ではありません。医療訴訟では、当事者双方(患者側・医療機関側)が医学文献や医師の意見書を証拠として提出し、裁判官はこれらをもとに判断します。必要に応じて、鑑定など専門的知見を得るための手続も利用されます。 認容率の読み方にも注意が必要です。前掲統計では、2025年の医事関係訴訟の認容率は23.9%です(速報値。地方裁判所の事件を基礎とします)。認容率とは、判決総数のうち請求が全部又は一部認められた件数の割合です。請求額の何割が認められたかを示すものではありません。 同年に終わった医事関係訴訟の51.3%は和解による終結でした(速報値)。和解した事件は、認容率の母数である判決総数には含まれません。そのため、認容率をそのまま医療機関側の勝敗の確率として読むことはできません。 診療上の注意義務違反や損害との因果関係などは、個々の事件の主張と証拠に即して検討されます。立証の難しさはありますが、統計だけから認容率の原因を一つに決めたり、特定の事件の結論を予測したりすることは避けるべきでしょう。 ###  全体の流れを俯瞰する 紛争が起きた場合、示談交渉や調停・ADRで解決を図ることがあります。ただし、これらを経ずに訴訟が提起される場合もあります。訴状が届いたときは、指定された期限を確認し、弁護士・保険会社に連絡します。 訴訟では、答弁書や準備書面、証拠の提出などを通じて、双方の主張と争点を整理します。診療経過一覧表の作成や、医学文献・意見書の検討も行われます。代理人弁護士が対応する場合でも、先生方による経過の説明や資料の確認が欠かせません。期日への同席を求められることもあり、出席の要否や方法は代理人と確認します。 争点整理を踏まえ、必要に応じて証人や当事者本人への尋問が行われます。[大阪地方裁判所の説明](https://www.courts.go.jp/osaka/saiban/medical/02_03_syouko/index.html)でも、担当医や看護師、患者や家族などのうち、必要な人を選ぶとされています。すべての関係者が尋問されるわけではなく、期日数や所要時間も事件によります。 専門的な事項について、裁判所が選任した鑑定人による鑑定を行う場合もあります。鑑定の時期や所要期間は一律ではありません。 和解の話合いは、尋問後に限らず、審理の途中でも行われます。合意が成立すれば和解で終結し、合意に至らず判決に必要な審理が整えば判決が言い渡されます。取下げなど、ほかの終結の仕方もあります。 各段階の順序や期間は、争点の数、証拠の内容、当事者の対応などによって変わります。先ほどの平均審理期間も、個々の事件の終了時期を保証するものではありません。 ###  「専門訴訟の典型」と言われるゆえん 医療訴訟が「専門訴訟の典型」と呼ばれるのは、裁判官が判断するために医学的知見が不可欠だからです。 診療上の注意義務を検討する際には、診療当時の臨床医学の実践における医療水準が問題になります。医療機関の性格や地域の医療環境なども考慮されますが、単に「多くの医師が現に行っていること」と同じではありません。医療慣行に従っただけで、必要な注意を尽くしたと判断されるとは限らないためです。こうした考え方は、[裁判所が公表する判決](https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-8460.pdf)でも説明されています。 医学文献、診療ガイドライン、医師の意見書などは、その判断のための資料となります。ただし、一つの資料だけで結論が決まるわけではありません。 カルテも、診療当時の経過を確認する重要な資料です。記載が不足していると、後から対応内容を説明することが難しくなる場合があります。他方、記載がないことだけで、その診療行為をしていないと機械的に決まるわけでもありません。看護記録、検査結果、関係者の供述なども含めて評価されます。記録の重要性については、第10回でも詳しくお話しします。 ###  医療訴訟は「負け」ではない 最後にひとつ付け加えたいことがあります。医療訴訟を提起されることは、先生方にとって大きな精神的負担となります。「自分の診療が否定された」と感じる方も少なくないでしょう。 訴訟は、患者側の請求について、双方の主張と証拠を踏まえて判断する手続です。提起されたこと自体が、先生方の診療に問題があったことを意味するわけではありません。結論は個別の事情によって異なります。 長い審理期間の間、精神的に辛い時期が続くこともあるかと思います。代理人弁護士と一緒に、患者側の指摘にも向き合いながら、事実と資料を確認して対応していくことが大切です。このシリーズが、そのための心構えの一助となれば幸いです。 次回は、訴訟の前に検討される紛争解決手段──調停やADR──についてお話しします。「訴訟以外にも選択肢がある」ということを知っていただくことは、重要なことだと思います。 (公開日:2026年11月8日 文責:弁護士鈴木沙良夢)